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法規対策部

 
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多様性を考える[続]がん治療と仕事との両立(最終回)
2022-02-10
 がん治療は山あり谷あり。困難に見舞われるたびに、信頼できる情報源から有効な手がかりを引き出し、主治医に相談、説得。常に自身の「いのち」に対する不安を抱えながらも、主体的に治療方法を選択し、実践してきた経験があるからこそ、Aさんの言葉に勇気づけられている患者も少なくないはずだ。今シリーズ最終回として、現在の状況を含め、読者に伝えたいことについて伺った。
職場復帰されて、もうすぐ半年ですね。
 ありがとうございます。2022年は入院せずにやっていきたいです。専門医の話では、ザーコリ(注)を減感作療法で服用し、ここまで継続できた事例は全国的にも症例は少ない様子。2018年6月にはがん性リンパ管症を発症しましたが、主治医の話によると肺がんの末期の状態で、次の薬が奏功しなければ半年の命とも言われました。そのような中で、残業の多い職場で働いていることも症例は少ないようで、患者会だけでなく、医師からも驚かれています。私の健康管理区分はC1。ピーク時には及びませんが、今も普通に残業続き。私自身も相当キツいですが、同僚たちはもっと大きなプレッシャーを抱えているはずです。何しろ、治療のためとはいえ、5年で10回の入退院。復帰しても、いつまた職場からいなくなるのか予測もつきません。業務量が非常に多い職場で、私が不在になれば当然、同僚にしわ寄せがいきます。それでも私を気遣って、あからさまに不満を漏らすことさえできない。みんなが苦しい状況です。だから来年度は、今よりも残業が少なく自分の経験を活かして役割を果たせる部署への異動を強く希望しているところです。
(注)ゲノム治療のための薬
そうでしたか。
治療はいかがですか?
 それが、実はあまり楽観視できない状況です。検査の結果、増悪していることが分かりました。とうとう、ゲノム治療の限界が近いようです。セカンドオピニオンのため静岡がんセンターを受診し、即、転院することにしました。私の場合、ROS1遺伝子変異のがんと、それとは別の発生の仕方をしたがんが併存しているのだそうです。近日中に、より詳しい検査をして、今後の治療方法を探っていくことになります。治験に期待したものの、あいにく叶わず。どんな結果であっても受け容れるしかありません。これまでも、期待が長続きしたことはありませんし…。でも、どん底に突き落とされるたびに、自分でもできる限りのことをして這い上がってきましたから。
また新たな課題に取り組まれるのですね。
 はい。「患者力」なんて言われますが、決して「まな板の上の鯉」になってはいけないと思っています。がん治療は日進月歩。患者自身が自分の状況から目を逸らさず、正確に病状を把握する。そして確かな情報源と繋がりながら、主治医としっかり相談する。諦めなければ、治療の選択肢を広げられる可能性も見えてきます。
 治療は確かに「綱渡り」と言えるかもしれません。でも、同時に、私の経験を積極的に発信することもしていきたいです。昨年も、日本肺癌学会学術集会や患者会で講演したり、SNSで実体験を語ったりする中で、大きな反響がありました。私の極めて個人的な体験であっても、多くの当事者・家族を勇気づけられるのかもしれないと思うようになりました。LCAAという肺がんWeb講座を受講して、肺がんについても総合的に情報収集してきました。今年はピアサポーターとして地元の患者会に参加して、支え合うことができればと思っています。とにかく読者の皆さんには、がんと診断されても一人で抱え込まないで欲しいです。がんの治療を行っている病院であれば、がん相談支援センターがありますのでどんなことでも相談に乗っていただけます。積極的に活用し、一人で抱え込まないことが大事だと思います。仕事に関しては、辞めるという判断には「待って!」と言いたいです。現在は職場復帰制度に私のようながん患者も入れていただくことができましたので、積極的に制度を活用してほしいと思います。がんの治療を続けながら働くことはとても大変なことであると実感していますが、今後、がん患者が働きやすい職場が作られることにも期待をしたいですね。また、皆さんの周りに私のようながん患者がいましたら、どうか温かい気持ちで受け止めて欲しいです。がん患者は仕事以外にも、がんという病気と闘い、副作用とも闘い、将来の不安等とも闘わなければなりません。無理なお願いかもしれませんが、嫌な顔をせず、温かい言葉で受け止めて欲しいと思います。よろしくお願いします。
 Aさんの語りには、自身の生命と真正面から向き合った者の「凄み」さえ感じられる。本県でも組合要求が実り、2021年度から長期療養後の職場復帰訓練の対象が、がんなどの身体疾患に拡大された。しかし、復帰後通院を続ける中で、体力低下や治療に伴う副作用により、一時的にフルタイムでの勤務が困難になる場合もある。
 一方、体調が安定している時は、普段と変わらず業務上のパフォーマンスを発揮できる場合も少なくない。厚労省もガイドラインで示すように、体調に応じた柔軟な勤務時間や仕事内容の調整は、がんによる症状や治療による副作用で体調が不安定な一定期間に有効な対応方法と言える。県当局には、本人・主治医・産業医などの意見に耳を傾けながら、実効性のある治療との両立支援策を求めたい。(完)
 
『シリーズ多様性を考える』への感想、Aさんへのメッセージなど、ぜひお寄せください。【宛先】法規対策部 szk-houtai@szkr.jp
 
多様性を考える[続]がん治療と仕事との両立(その4)
2021-12-10
 深刻な薬疹のため、わずか2週間でゲノム治療(ザーコリ服用)の終了を言い渡されたAさん。しかし、減感作療法(アレルギーの原因となる物質を少しずつ身体に与えることで、慣らしていく療法)についての論文を発見し、「自分もやりたい」と主治医に掛け合うことに。その後の状況を伺った。

 主治医はどんな反応でしたか?
 私が手渡した論文には目を通してくれました。でも「病院として再チャレンジの了解は得られないだろう」という回答。本来なら、そこで諦めなければいけないところかもしれません。でも、私は食い下がりました。「2週間のザーコリ服用が奏功しているか、CTを撮ってチェックしてほしい」と。「全く効いていないならゲノム治療を諦めるが、奏功しているなら治療再開を考えてください」と訴えたのです。結果、がんがかなり小さくなっていたことが分かりました。ザーコリが効いていたんです!主治医も驚いたようで「服薬を再開しましょう」と。
 ゲノム治療の再開ですね。
 そうです。でも、薬疹を抑えるためステロイドを飲んでいたので、ザーコリを服用する前に、まずは身体からステロイド剤を抜かなければなりません。そのとき使っていたステロイド剤は20㎎。1週間で5㎎ずつしか減らせないため、4週間かけて自宅療養で0㎎にしていきました。そして再入院し、今度は通常量500㎎のザーコリを、50㎎から服用スタート。1週間様子を見て、薬疹が出ないことを確認し、次の週は100㎎に。こんな感じで、4週間かけて目標の200㎎にまで少しずつ増やしました。当初、入院2週間+自宅療養1週間程度で職場復帰できる見込みでしたが、薬疹に阻まれ、療養期間は4か月半にもなっていました。私としては、すぐに職場復帰するつもりだったため、ろくに業務の引継ぎもせず。復帰する頃には、休み始める前に何をやっていたのか、すっかり忘れてしまっていました。
 復帰はスムーズにいきましたか。
 業務上の配慮をしていただき、うまく復帰できました。ちょうど年度末も近く。随分長いこと職場を不在にして周囲に迷惑をかけてしまったので、とても申し訳なくて…。私の職場は業務量が非常に多く、慢性的な人手不足。しかも緊急かつ重要な業務が多いのです。このため、私のように不安定な勤務状況では、職場に負担が一層かかります。それで異動希望を出しましたし、当然、異動するものと思っていました。周囲にも異動を前提に、挨拶して回ったり。私としては、「迷惑をかけた分、年度末までは周りのサポートを一所懸命やろう」と。ところが、異動内示がなかったんです。唖然としました。「まさか…」と言葉になりませんでした。内部異動さえもなく、前年度と同じ仕事で。とにかく気持ちを立て直して「やるしかない」と思いました。けれども5月に撮ったCTで、一旦は小さくなっていたがんが、再び元気になってきた様子が見て取れました。腫瘍マーカーも上がり、「ザーコリが効かなくなってきたかな」と。確かに、通常量の半分以下の量(200㎎)しか服用していなかったので、効かないのも致し方なく。6月から増量チャレンジをすることになりました。
 薬疹を気にしながらのザーコリ増量ですね。
 一度生命を奪われかねない薬疹に見舞われたので、通院治療は不可。再度入院して慎重に増量することに。前回は500㎎服用して薬疹が出たので、目標を400㎎に設定。週に50㎎ずつ、目標量に達するまで4週間かけました。結果、薬疹は出ませんでしたがAST/ALTの数値が異常に高くなり、肝機能低下が発覚。通常なら、ここでザーコリ服用は中止にするところでしょう。でも、肝機能低下のためにまた治療を中止することは、私にとって受け入れがたく…。念のため、肝臓、腎臓、膵臓のエコーを撮って転移がないことを確認。今はAST/ALTの数値を下げる薬を2種類使いながらザーコリを服用して、肝臓の状態を何とかコントロールしているところです。

 文字通り、生き抜くための手がかりを求めて情報を収集し、持ち前の粘り強さで主治医を動かし治療の挑戦を続けるAさん。その経過から、がん自体の治療をするためには、からだ全体の調整がいかに重要であるかが感じ取れます。その後の状況を含め、読者に伝えたいことについて、回を改めて伺います。
(つづく)
 『シリーズ多様性を考える』への感想、Aさんへのメッセージなど、ぜひお寄せください。
【宛先】法規対策部 szk-houtai@szkr.jp
 
多様性を考える[続]がん治療と仕事との両立(その3)
2021-11-10
 1%の確率に賭けてゲノム治療を受けるチャンスを掴んだAさん。しかし、命を脅かすほどの薬疹に見舞われ、わずか2週間で治療中止に追い込まれてしまう。その後の経過について伺った。
 あまりの急展開に言葉を失います。
 そうですね、本当にアップダウンの連続です。薬疹により命の危険が迫っていたので、がん治療は休止。今度は薬疹治療に転換しました。幸い、抗炎症作用のあるプレドニン(ステロイド剤)は40㎎の服用で奏功。けれども、免疫力を下げるという副作用があるため、コロナ禍での感染を厳重に予防する必要がありました。このため、抗生剤を服用。でも、この影響で血糖値が上がりやすくなるんです。だから、毎食前に指先で採血&計測。インスリン注射で血糖値をコントロールするものの、副作用で睡眠障害に。やむなく睡眠導入剤を倍量飲んで凌いだときもありました。また、血糖値をインスリンで下げると、骨はもろくなりやすくなります。このため、週1回、骨粗しょう症の予防薬も服用しました。
 薬の副作用をさらに別の薬で予防して、からだのバランスを微調整していくのですね。
 そのとおりです。プレドニンのお陰で確かに薬疹は治まりました。けれども、すぐにやめることができないのがステロイド剤の厄介なところです。週5㎎ずつ段階的に減らす必要がありました。「20㎎まで減らさないと退院できない」と言われたため、必然的に40↓35↓30↓25↓20と、4週間を薬疹治療のために入院することに。そして、ようやく退院。とはいえ、20㎎は依然服用していたため、コロナの感染リスクは高いまま。「退院後、くれぐれも外出しないように」と厳しく医師から言い渡されました。
 薬疹が治まって何よりでしたね。ところで、がん治療はどうなったのですか?
 主治医から、ザーコリを使うゲノム治療の終わりを告げられました。「薬疹で命を落としかねないから」と。一旦、薬疹が治まったとはいえ、再びザーコリを服用すれば、メモリー細胞の働きにより、また同じような反応を起こす可能性が高いことになるため「もっと早い段階で薬疹が引き起こされるだろう」と言うのです。一瞬、何を言われているのか、全く理解できないほどの衝撃に襲われました。私としては、1%の確率でROS1(ロスワン)遺伝子変異が見つかり、藁にもすがる思いで始めたゲノム治療です。やっと見つけた道が、無情にも寸断されたのです。到底、受け容れられない現実を突きつけられ、状況を理解しないといけないと分かりつつも、「いや、納得できないし、このままでは終われない」という思いが湧いてきて、すぐに肺がん患者会とROS1患者会に相談することにしました。
 ROS1(ロスワン)患者会というものもあるのですか?
 実は、あるんですよ。がん治療は日進月歩。知らなかったがために治療できないなんていうことになったら悔しいですから。そして見つけました。ROS1患者会の中に、私よりは酷くないものの、ザーコリによるアレルギー症状が出たため、より少ない分量で再チャレンジした人がいたんです。主治医にその話をしたものの、「あなたも上手くいくとは限らない」と一蹴。でも諦めきれません。そこで、今度はSNSで検索。一本の論文を発見しました。それは「ザーコリ服用で薬疹が出て治療中止。その後、減感作療法(アレルギーの原因となる物質を少しずつ身体に与えることで、慣らしていく療法)を行い、ザーコリが奏功した」というものです。ただし、その事例は、ステロイド剤を使用していない点で、私とは異なっていましたが…。矢も楯もたまらず、「主治医と皮膚科の先生に、とにかく掛け合おう」と、毎朝の回診時刻の前から、待合室で主治医を待ち伏せ。「どうか、これを読んでください」と論文を渡し、「こういう成果があるので、私もやりたい」と、必死で訴えました。

 ゲノム治療の終了を言い渡されたAさん。それでも諦めず、患者会などから情報を集めていった。そして、一本の論文と運命的な出会いを果たす。果たして、主治医の反応は…。(つづく)
 
多様性を考える[続]がん治療と仕事との両立(その2)
2021-10-10
背水の陣で「1%の確率」に賭けたAさん。自身のがん発症の原因が遺伝子変異にあった証拠を掴み、どんなに嬉しかったことだろう。しかし、新しいゲノム治療への道には、予想だにしなかった「壁」が立ちはだかっていた。今回は、この続きを伺う。
新しい治療はいかがでしたか?
それが…実は、不測の事態に見舞われることになりました。CTで増悪が見つかったのが昨年5月。免疫療法の効きが悪くなってはいたものの、それでも6、7月は治療を継続。そして、遺伝子変異が見つかったのが8月です。即、別の薬剤を使い始めると副作用リスクが高まります。このため、新しいゲノム治療を始めるまで1か月の無治療期間を置くことになりました。
そして、9月半ばからいよいよ治療開始。ザーコリというカプセル剤を服用することになりました。
ゲノム治療には、飲み薬を使うのですか?
そうです。免疫療法は点滴でしたが初めて飲み薬になりました。当初は2週間の予定で入院。250㎎を朝夕1回、つまり1日500㎎です。分子標的薬の場合、骨髄抑制の副作用が出るという報告はあまりありません。けれども、間質性肺炎、味覚障害、そして下痢や吐き気などの胃腸障害などがあると言われています。さらに特徴的なのは、視覚異常です。他の薬剤にはないザーコリ特有のもので、副作用の不安はあったものの、せっかく掴んだチャンスです。「飲んでみよう」となりました。
ところが、服用初日から、ものすごい下痢に襲われることに。また、嘔吐まではいかずとも、ムカムカと吐き気が続きました。さらに、服用2日目の夜、視覚異常が出てきたのです。病院の消灯は21時。眠れないのでテレビやスマホを見るのですが、暗闇の中で光の残像がいつまでも残り、視線を動かすたびに付きまとってきます。夜トイレに立つときも、廊下は暗いのに目の前はチカチカとしました。とても不気味でしたが、あらかじめ情報収集していたため「これが報告されている副作用だな」と受け入れることができました。
確かな情報を入手することは大切ですね。
そうですね。自分の状況を客観的に見ることにも繋がりますね。ただ、ここからが、想定外の連続でした。服用2週間が経った頃、朝、目が覚めたとき、ものすごい頭痛に襲われました。体が熱く、38度後半の発熱。お腹には発疹が。「蕁麻疹かな?」と軽く見ていたのですが、どんどん全身に広がり「ヤバイ」と。院内の皮膚科を受診し、抗アレルギー薬を服薬したものの全く効かず。酷くなる一方で、眼は充血し真っ赤、顔もパンパンに腫れ、手のひらも何もかも、全身が真っ赤に。解熱剤を飲んでも、ほんの一時熱が下がるだけで、すぐに上がってしまう異常事態。精密検査をすると「薬疹。重症化の一歩手前です」。医師によると「抗炎症作用のあるプレドニンを40㎎服用しても薬疹が治まらなければ60㎎の最大量に。それで治まらなければ治療方法はない。」とのことでした。
そこでふと、頭に浮かんだのはゲノム治療のザーコリ服用のこと。続けられるか、とても心配になったのです。医師に尋ねると、それはもう真剣に叱られました。曰く、「君は薬疹を甘く見過ぎている。薬疹で命を落とすこともあるんだ」と。私も初めて知ったのですが、スティーヴンス・ジョンソン症候群というものがあり、進行すると全身の発疹が水泡化。アレルギー症状が喉に出て気道が塞がれる等々…「死に至る手前だ」と。結局、ザーコリ服用は2週間で中止。薬疹は「グレード4」で生命を脅かすほどの重症でした。

やっと漕ぎつけたゲノム治療。しかし、深刻な薬疹に見舞われ、わずか2週間で中止することに。そして今度は薬疹治療に転換することになった。全く想定外の展開に、Aさんは想像を絶する衝撃を受け、困惑されたはずだ。それでも、Aさんは諦めなかった。
(つづく)
 
多様性を考える[続]がん治療と仕事との両立(その1)
2021-09-10
 少子高齢化を背景として、現代日本は労働力人口激減の危機に瀕している。労働者一人当たりの生産性の向上は、直面する労働力不足を乗り切るための必須の条件。同時に、優秀な労働力を確保するため、経営側としては働きやすい環境づくりに目を向けることが重要な課題だ。そして近年注目されているのが、経営戦略としてのダイバーシティ&インクルージョン。つまり、多様な人材の違いを尊重し、その違いを戦略的に活用できる環境整備を積極的に行うことで、組織の成長を加速させる在り方だ。
 本紙がこれまで取り扱ったテーマは「大人の発達障害」及び「がん治療と仕事との両立」。特に後者は、昨年の連載以来、非常に大きな反響があり、新たな両立支援制度を導入させるための労使交渉を前進させることに繋がった。
 さて、今回は、その続編。昨年度の取材から約1年が経過し、今、Aさんはどんな状況なのか。再びお話を伺った。(昨年度の連載は、県職公式HPに掲載中。)
 今年4月から、職場復帰訓練が身体疾患にも適用されることになりました。
 いやぁ、本当に良かったです。がん治療と一口に言っても、部位や状態により患者の負担は異なります。治療によるがんの縮小で症状の改善が見られる「寛解(かんかい)」の状態で職場復帰する場合には、特に心強い制度です。少しずつ職場にいる時間を長くする中で、身体の感覚も慣らしていけますし。がんは2人に1人が発症する病気です。きっと職員の中にも人知れず苦しんでいる人がいると思います。必要に応じて活用してほしいですね。
 昨年から、コロナ禍で不安定な情勢ですが、その後、御自身に何か変化がありましたか?
 はい、がん治療は「山あり谷あり」と言われますが、私にも物凄くいろんなことがありました。2016年秋に進行がんが見つかってからの治療や心境の変化などについては、昨年お話ししましたが、この1年は私にとって、とても大きなターニングポイントになったと思います。
 実は昨年5月、CT検査でがんが大きくなってきていることが分かりました。つまり、この2年間ずっと3週間に1度続けてきた免疫療法が効かなくなってきたということです。ふと、免疫療法に踏み切った当時のことが頭をよぎりました。抗がん剤が効かず、治療の選択肢が狭められている中で「副作用がある。効くかどうかはやってみないと分からない。でも3割の人には効く」と主治医に言われ、藁をもすがる思いで選択した免疫療法。「効かなかったら、あとどれくらい生きられるか」との問いに対し、医師は「半年くらい」と答えたのでした。何しろ、癌性リンパ管症がかなり進行しており、右の肺は真っ白。「免疫療法が効かなければ、ほどなく肺の機能が失われ、自発呼吸はできなくなるでしょう」と。幸い治療は奏功し、何とかここまで来たものの、とうとう「別の治療に移りましょう」という段階に。主治医からは「3種類の抗がん剤」を勧められました。
 そうでしたか…。では、次の段階として抗がん剤治療に変わったのですか?
 いいえ。私は「遺伝子変異検査をやってほしい」と切望しました。自分の生命がかかっているのに、主治医の意見を鵜呑みにして「まな板の鯉」でいるわけにはいきませんから。自分の病気を正しく理解し、適切に対処することはとても重要です。自分自身が知らないと、主治医に対して治療の希望をきちんと伝え、相談することさえできません。このため、免疫療法を始めた頃から患者会に入会。自分と同じ「がんサバイバー」と治療法などについて情報交換したり、専門医による講演を聴いて勉強したりしてきました。講演後には、個別相談の時間を設けてくださるので、その中で、自分の病状を伝えて助言を受けたりすることもありました。
 どうして遺伝子変異検査を?
 多くの肺がん患者は、EGFRとALKという遺伝子変異の検査結果が陰性の場合、ほかの遺伝子変異が見つかる可能性は1%未満です。私も陰性だったので、主治医の意見は「ほかの遺伝子検査をやっても意味がない」。このため力を落としていたところ、患者会や他の専門医から「確率が1%でも可能性はゼロではない。やってみる価値はある」と背中を押されたのです。そして、免疫療法が効きづらくなってきた頃から、主治医に「遺伝子検査をしてほしい」と何度も訴え続けました。「お金もかかるし、見つかる確率が低すぎて検査の意味がない」と、なかなか踏み切ってもらえませんでしたが、私の粘り勝ちで2020年6月に検査。8月に結果が出て、なんとROS1(ロスワン)遺伝子の変異が見つかったのです。つまり、私のがんは遺伝子変異により発症したという証拠を掴んだことに。そして、分子標的薬を使い、ゲノム医療を受ける道が開けました。免疫療法を終えなければならず、もう後がない状態のとき。1%の確率に賭けて本当に良かったと思いました。とにかく嬉しかったですし、勇気づけられました。

 確かな情報を得ながら、周囲の理解者に支えられ、粘り強く主治医に治療方法の希望を訴え続けたAさん。まさに奇跡的な確率で新たな選択肢の可能性を掴みとることに。殺細胞性抗がん剤の奏功性は3割。一方、分子標的薬は遺伝子変異のある細胞だけにターゲットを絞って作用する薬のため、6割くらい効くと言われている。しかし、またしても大きな「壁」が…。
(つづく)
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⑤がん治療と仕事との両立(その一)
2020-05-10
――がん治療と仕事との両立①――
 
 前回(2018年度)採り上げたのは「発達障害」でした。今回は、「がん治療と仕事との両立」に光を当てます。
 「国民の2人に1人は、一生のうちに1回はがんになる」と言われています。かつてのイメージは「不治の病」。しかし、近年の診断技術や治療方法の進歩により生存率が向上し、「長く付き合う病気(慢性疾患)」として取り扱われることも増えてきたようです。がん治療をしながら、仕事を続ける者が増える中、それを後押しするように国も「事業場における治療と職業生活の両立支援のためのガイドライン」(2016年公表、2019年改訂)を公表しています。
 本県にも、がん治療をしながら働く職員が確実に存在しています。けれども、その実態はなかなか見えないもの。そこで、当事者であるAさんに御協力いただき、日頃、どんなことを感じながら働いていらっしゃるのか伺いました。
 
■どのようにして、がんが見つかったのですか?
 きっかけは、人間ドックでした。受診後、病院から電話が来ました。「レントゲンで影が見つかったので、『至急』再検査を。」と。「一刻も早く」という感じでした。受診結果が電話で知らされること自体、異例のことだと思ったので、翌日に地元の病院を受診。結果、「8割の可能性で肺がんだ。すぐに切除を。」と医師に言われました。
 私は煙草を吸いません。ですから、「何で肺がんなの?」と目の前が真っ暗になり、涙が溢れて仕方がありませんでした。隣に居た配偶者の服の裾を握りしめ、「私は死んでしまうのか…」と絶望に身を震わせたことを鮮明に覚えています。
 医師によれば、喫煙者でなくても肺腺がんには罹るとのこと。悩む間もなく、2週間後に切除手術を受けました。たった2週間の間にも腫瘍は大きくなり続け、直径3センチ程に。進行がんです。
 
■手術の内容について教えてください。
 麻酔科医や主治医から説明を受けました。①成功率は100%ではないこと、②出血多量で亡くなるおそれもあること、③細心の注意を払い、執刀には万全を期すこと、④万が一の時には輸血をすることなど。手術によって命を落とすおそれが十分あるのだということを、現実に受け止めざるをえませんでした。
 手術は約4時間。傷口が大きくなる開胸手術ではなく、内視鏡を使った胸腔鏡手術です。家族が病院に来て、見守っていてくれました。術後は一日ICUへ。麻酔が切れると、ものすごい痛みに文字通り「泣き叫ぶ」状態でした。後にも先にも、あれほどの痛みを経験したことはありません。3種の強い痛み止めを使ってようやく眠り、翌日は個室に移りました。
 
■退院時の状況を教えてください。
 驚くべきことに、個室に移った日、つまり術後2日目にはリハビリ開始を指示されました。病室に医師が来て、「立ってください。」と。当然、薬の影響もあり、目が回った状態でフラフラしている私は、立つことさえできませんでした。その翌日(術後3日目)には、車椅子に乗せられてリハビリ室へ。深呼吸のリハビリが課されました。肺の1/5を切除しているため、深呼吸はおろか、しっかりと呼吸することもままならず。目の前に吊り下げられた紐に息を吹きかける動作もできない状態でした。それでも、できる限り深い呼吸をして歩けるよう、2週間の入院期間はリハビリに励みました。
 「これで治療は終了だ。」とばかり思っていた矢先、退院前日になって、主治医から「リンパ節の精密検査の結果、転移が見つかった」と告げられました。これが進行がんの進行がんたるゆえんなのでしょう。とはいえ、術後の体力回復が万全ではないため、一旦退院し、1か月後に再入院して抗がん剤治療を始めるということになりました。
 
■術後に復帰したときの状況を教えてください。
 術後2週間で、退院日翌日からいきなり職場復帰。もちろんフルタイムです。精神疾患で長期療養したときには、職場復帰訓練である程度の助走期間が設けられると聞いたことがあります。でも、身体疾患の場合には、とにかくフルタイム勤務しか選択肢がありませんでした。
 私の状態としては、呼吸も十分にはできず、肺に水も溜まり、かすれた声しか出せない状態でした。体力も回復には程遠い状況でフラフラ。けれども、私の体調の悪さは目に見えません。周囲の職員は「2週間休んでいたけど、何があったの? 声も出ていないし。」と怪訝そうな様子。けれども、私としては、「がん=死」のイメージが依然ある中、周囲に気を遣わせたくなかったため、本当のことを言えずにいました。病気のことを報告したのは、管理監督者に対してだけでした。周囲の同僚には、ただ、「急に休んですみませんでした。しばらくするとまた入院します。」とだけ挨拶するのが精一杯でした。(つづく)
 
⑥がん治療と仕事との両立(その二)
2020-06-10
――がん治療と仕事との両立②――
 
 前回は、Aさんが、人間ドック受診をきっかけに肺癌と宣告され、手術を受けた経緯について伺いました。今回は、復帰後の様子などについてお話しいただきます。
 
 
■術後2週間入院し、退院し3日後から職場復帰されたとのこと。体への負担は相当なものだったのではありませんか?
 はい。とにかくフラフラでした。正直言って、まともに働けるような状態ではありません。でも「職場復帰訓練」のような短時間勤務の制度はなく、フルタイムで復帰するよりほかありませんでした。
 まず、困ったのは「声が出ない」ということでした。私の担当業務は、直接県民と会話することが多く、中には体力の必要な仕事も含まれていました。けれども、体調は絶不調でした。ただ、幸か不幸か、外見上殆ど分からない状態でした。管理監督職員には病状を報告したものの、同僚には敢えて公表せずにいたため、フラフラになりながらも何とか再入院までの1か月を耐え抜くしかありませんでした。
 
■治療はどんな風に進んだのですか?
 最初に行ったのは、シスプラチンとナベルミンという2種の抗癌剤を「カクテル」して使う治療(多剤併用療法)です。「入院2週間+在宅療養2週間」を1クールとして、4クール繰り返すものでした。
 シスプラチンは激しい副作用を起こすのが特徴です。特に尿の量が少なくなると深刻な腎臓機能障害を引き起こすことから、1日4,000ccを目安に尿を出すことが必要とのこと。利尿剤を使う一方、絶えず水分を摂るように医師から指示されました。また、吐き気もひどかったです。食べ物がほとんど喉を通らない状況でした。さらには、骨髄抑制による白血球の減少から、感染症リスクが増大するという副作用もあり、これが最も気を遣うところでした。抗癌剤の点滴にはさほど時間がかかりません。けれども、その後、白血球の数値が基準値まで戻らなければ退院できなかったはずです。
 
■職場に復帰して戸惑ったことはありますか?
 4クール(4か月)の抗癌剤治療が終わったときは、ちょうど年度の変わり目。復帰後、新年度の分掌表を見たとき、一瞬目を疑いました。なんと、自分の分掌業務が増えていたのです。もちろん、突然の長期療養により仕事に穴を空けてしまった側としては、「楽をしたい」などとわがままを言うつもりはありませんでした。実際、慢性的な人員不足で周囲の職員にも負担がかかっていたことは重々承知していましたし。でも、抗癌剤の治療により落ちた体力は、万全とは到底言えない状態。「今の自分が本当にやっていけるのだろうか。」と不安が襲い掛かりました。
 既に、所属の管理監督職員に対しては、癌治療中であることを報告していました。けれども、その反応としては、「年齢的にも、このくらいの仕事はやってもらいたい」とか「いつから時間外勤務ができるの?」といった感じでした。「最低1か月は無理です」と答えると、「診断書を提出してもらいたい」とのこと。診断書の提出により、やっと時間外勤務への配慮が認められたという状況でした。
 シスプラチンの副作用による吐き気で、食事を十分に摂れず体重は落ちていました。ともかく疲れやすく、フラフラの状態。でも、その辛さは決して目に見えるものではありません。周囲にそれを「理解してほしい」というのは到底困難で、癌治療と仕事との両立をする者の永遠の課題となるのかもしれません。
 
 
 Aさんは、抗癌剤治療による副作用に大変苦しまれた様子。抗癌剤の副作用について、薬物の種類により異なるものの、一般に、味覚障害、動悸、脱毛、手足の痺れ、胃腸障害等の症状に苦しむ患者が多いと言われています。いずれも本人以外にはその不調を感じ取ることができず、特に職場において、丁寧な説明と調整のない状況にあっては、周囲からの理解を得ることは難しかったことでしょう。一人で不安を抱え、心細い思いをされたAさんの心情が窺われます。(つづく)
 
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
●癌薬物療法(抗癌剤治療)とは
 癌に対して抗癌剤で治療を行う方法を「癌薬物療法(抗癌剤治療)」という。大きく分けて方法は2つ。抗癌剤を「服用する方法」と「注射(点滴)する方法」とがある。いずれの場合も、血液を介して抗癌剤を全身に行き渡らせることにより、癌の進行、再発を抑える効果が期待できる。
 癌の種類(大腸がん、肺癌、胃癌、乳癌など)、治療の目的、患者の状態により、使用する抗癌剤や治療期間は異なる。また、抗癌剤治療には、作用の異なる抗癌剤を数種類使用する「多剤併用療法」と1種類のみを使う「単剤療法」がある。
 
⑦がん治療と仕事との両立(その三)
2020-07-10
――がん治療と仕事との両立③――
 
 前回は、Aさんが、術後に職場復帰されたときの様子や戸惑いなどについて伺いました。今回は、再発後の治療の状況についてお話し頂きます。
 
■その後は?再発の不安は?
 職場復帰後、半年ほど経ったとき、医師から「再発」を告知されました。リンパ節に転移しているとのことでした。即、「別の薬を。」ということで、ドセタキセルとサイラムザという抗がん剤を使うことになりました。この薬ならば吐き気は出ません。けれども、脱毛や味覚障害の副作用がありました。病院食は元々薄味。「味がしない」というよりは、何だか口の中がずっと熱い感じで、何とも言い表しがたい変な感覚でした。結局、辛うじて私の体が受け付けたのは、カップ焼きそば、ゼリー、そしてヨーグルトだけでした。
 脱毛の副作用は2クール目くらいから深刻な状況でした。何しろ、頭髪がごっそり抜けるのです。このため、枕に触れただけでも頭皮が痛くて眠れないほどでした。導眠剤を飲んで辛うじて眠るものの、翌朝には枕に頭髪の塊がびっしり付いているような状態でした。脱毛といっても、きれいには抜けません。うなじや耳の上の生え際のみ中途半端に生え残り、あとはツルツルに。最初は帽子を被って出勤していましたが、同僚からも不審がられるので、思い切ってウィッグを購入しました。20万円ほどの痛い出費となりましたが、それでも職場に溶け込もうと必死でした。同僚にはまだ打ち明けられず。ともかく、変に気を遣われるのが嫌でしたし、職場で足手まといになるのも嫌でした。自分自身も、がん治療に対してネガティブなイメージしか持てなかったからだと思います。
 
■周囲の職員に病状を知らせずに働くのは大変だったのでは?
 はい、大変でした。あるとき、とても仕事が忙しい時があり、同僚に「手伝って。」と思い切って投げかけたことがありました。ところが、病名を明かしていなかったため、言われた側も受け止めが難しかったと思います。私は私で、どこまでお願いすべきか、相手としても、どこまで手伝えば良いのか分かりづらいため、結局、私自身で抱え込んでしまい、疲れ切って休んでしまうという状態でした。
 また、別の機会には、職場で弱音を吐いて「疲れた。」と口にしたこともありました。けれども、周囲の反応は「それくらいの仕事でなぜ疲れるの? みんなやっていることでしょう? 年齢的にもそれぐらいやってよ。」という感じでした。やはり、周囲に病状をオープンにしていなかったのが原因だと思います。
 
■治療は順調に進みましたか?
 ドセタキセルとサイラムザの抗がん剤投与を4クール終えて何か月か経つと、髪が生え始めました。この抗がん剤治療にあたり、最初だけ入院しましたが、あとは通院で乗り切りました。大変な苦痛を伴うものでしたが、無情にもドセタキセルは効きませんでした。というのも、その4か月後、咳が止まらなくなるという異常が表れたのです。接客業務の際、脇にペットボトルを置き、一言話すごとに水を飲んで咳を抑えるような異様な状態でした。きっと来庁した県民にも不審がられていたことでしょう。月に1回は検診していたものの、CT、レントゲンの結果、「がん性リンパ管症」と診断されました。増殖したがん細胞がリンパ管に詰まり、レントゲン写真を見ると肺が真っ白に写っていました。これが「進行がん」のしぶとさなのでしょう。
 薬が効けば、がん細胞は小さくなるかもしれません。けれども、骨髄抑制(以下参照)は必ず起こります。抗がん剤はがん細胞のみならず、新しく生まれた正常な細胞にも影響を及ぼします。私も白血球数が700個/μl程度まで落ちてしまい、敗血症で命を失うリスクがありました。成人の正常値は3,500~9,200個/μlと言われていますので、どれほど異常かが分かるでしょう。このため、抗がん剤投与の後、ジーラスタという薬を入れて急激に白血球を増やすことになります。ところが、この薬は、関節痛や頭痛など、大変な痛みを副作用として引き起こします。私たちがんサバイバー(がんを経験した人)は、痛みから即、転移の恐怖に苛まれます。私も痛みに戦慄しましたが、医師から「薬の副作用」との説明を聞き、胸を撫でおろしたのを覚えています。
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●骨髄抑制とは
 抗がん剤は、細胞分裂が活発な細胞に強く作用します。がん細胞のみならず血液を造る骨髄も、非常に細胞分裂が活発なことから抗がん剤の影響を受けやすく、このため骨髄が血液を正常に造ることができなくなります。これを「骨髄抑制」と言います。どのような症状が出るかは、血液細胞を構成する3要素である白血球・赤血球・血小板のうち、どの成分が不足するかにより異なります。抵抗力の低下・貧血・出血などの症状は、脱毛や吐き気と異なり、自分では気づきにくいこともあるため、抗がん剤治療中は、定期的な検査を行い注意深く経過観察することが必要です。
 
⑧がん治療と仕事との両立(その四)
2020-08-10
 前回は、Aさんから、抗がん剤治療による副作用などを中心に伺いました。今回は、再発を受けて治療法を変えた後の状況についてお話しいただきます。
 
■抗がん剤が効かなかったとのことですが、その後の治療はどうされたのですか。
 主治医から2つの選択肢が提示されました。一つは、カルボプラチン等3種の抗がん剤を使い、4クール入院治療すること。かなり強い薬ではあるものの、エビデンスがあるとのことでした。そしてもう一つは、最近認可された免疫療法で、最新のテセントリクという薬を使うものです。免疫療法といえば、本庶佑氏が研究・開発に携わったオプジーボが「夢の薬」として有名ですが、2割にしか効果がないとのこと。一方、テセントリクはさらに新しいタイプの薬で、エビデンスには未知数の部分があるものの、従来の薬では効果が得られなかった患者にも可能性が広がるということでした。また、他の抗がん剤に比べると副作用は多少軽いということで、「これに賭けてみよう」と入院を決意しました。
 テセントリク治療の初めの時は、副作用が感じられませんでした。以前、別の薬で苦しめられた味覚障害もありません。点滴で投薬しますが、薬を入れたかどうかも分からないくらいでした。このため、「しばらく続けてみよう」ということで、2020年7月末現在で36回投薬しています。
 
■現在の状況はいかがですか?
 体は楽です。定期的にひどい眠気や微熱に襲われることはあるものの、吐き気や脱毛もありません。でも、重大な副作用があります。それは、テセントリクによって活性化された免疫力が、がん細胞のみならず正常な細胞をも攻撃し始めるということです。結果として、間質性肺炎、糖尿病、甲状腺機能障害、膵炎等の自己免疫疾患を引き起こす可能性もあるということです。私としては、皮膚疾患(アトピーのような痒み)に悩まされました。投薬により、ずっと倦怠感が続きましたが、投薬5回目くらいで、がん性リンパ管症は消えていき、同時に、咳も収まってきました。
 
■薬が効いているのですね。今はどのように仕事と両立されていますか?
 テセントリクは3週間に1回通院して投与します。当日は1日休暇を取得し、朝一番で病院へ。7:40病院受付→血液検査→結果が出るまで約1時間待機→10:00診察→15分くらいの診察→11:00免疫療法(1時間くらい)→帰宅して午後は休養。このようなスケジュールになっています。抗がん剤治療ほどのダメージはないものの、CTもレントゲンも頻繁に撮っていますので、きっとものすごい被曝量でしょう。
 抗がん剤投与の場合には、1日目抗がん剤投与、2日目白血球を増やす注射、3日目休養とする必要があります。ただし、4クール投与した後、体から薬剤が抜ければ、味覚障害や脱毛等の副作用は消えます。
 一方、免疫療法だと、副作用の強さは多少抑えられるものの、間質性肺炎や糖尿病のリスクは高いままです。
 
■リスクを十分認識しながらも、免疫療法に踏み切った理由は何でしょうか?
 抗がん剤はミクロの単位でがん細胞を攻撃しますが、薬剤が体から抜けた後、新たに生まれてくるがん細胞には効果がありません。免疫療法は、自分の体の免疫力を活性化させてがん細胞を攻撃するものです。たしかに自己免疫力が暴走し、自分の体を攻撃し始めるリスクは無視できません。けれども、とにかく抗がん剤の副作用が嫌でした。「うんざり」というのが正直なところです。
 免疫療法は、新しく開発された方法です。新しいものに賭けてみたい、試してみようという気持ちでした。「それでダメなら、次は抗がん剤を」という感じで。現在、テセントリクは「当たり」と言えますが、寛解(かんかい)[病気の症状が軽減またはほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態]とまではいきません。腫瘍マーカーは依然として基準値を少し超えています。ほかにも、主治医には放射線治療を提案されていますが。
 
■読者に伝えたいことはありますか?
 検診に行って「所見あり」となった場合には、必ず精密検査を受けてほしいです。発見の遅れは死に直結しますので。早期であれば切除できる確率が高いですし、早く発見すれば早く治ります。
 私も、人間ドックで引っかかる前には自覚症状が全くありませんでした。がんが発見される2か月前には、金毘羅山に登り、息切れもなく快調でしたし。また、往復60kmを超えるような距離を自転車で元気に往復するほどでした。
 がん治療には、切除・放射線・抗がん剤・免疫療法・ゲノム医療等、様々な治療法が選択肢としてあります。まずは専門医と相談すること。ネット上には恐怖を煽るような情報も多いですが、それでもある程度は自分で情報収集することが必要だと思います。私の場合には、たまたま主治医が勧めてくれたテセントリクが功を奏しました。その選択肢がなければ、カルボプラチン3種抗がん剤しか道がなかったと思います。そうなれば、ものすごい副作用に苦しめられたに違いありません。
 
⑨がん治療と仕事との両立(その五)
2020-09-10
 これまで、Aさんからは、突然の告知から治療・再発を経て、治療に伴う苦痛に耐えながらも、働くことを模索し続ける思いについて伺ってきました。今回は、シリーズ最終回として、御本人の「素」の思いに耳を傾けたいと思います。
 
 
■現在は、どんなふうに働いていらっしゃいますか?
 普段はさほど意識していなくても、病気の不安は、ふとしたときに脳裏をかすめます。身体的には、とにかくひどい倦怠感に襲われるのですが、周囲の人に分かってもらうことはできません。気力も体力も発病前に比べれば、ことごとく「ない」状態です。「気を強く持って…」と精神力で片づけられるようなものでもありません。階段の昇降もかなり難しくなりました。特に太ももの筋力低下が著しいので、気を付けて歩く機会を作るようにはしていますが、筋力はとにかく落ちてしまいました。けれども、外見では分からないんです。
 
■確かに、お元気そうに見えますね。
 そうなんです。食事も普通に摂ることができます。元気なのに「なぜ?」と周囲から言われるわけです。そして「いつから時間外の仕事ができるの?」と。現在は主治医に診断書を書いてもらい、深夜の就業制限をつけてもらっています。日中は緊急案件にも対応していますが、仮に夜遅い時間帯に仕事をした場合にはバイオリズムを乱してしまうので。主治医とはしっかりと職場の状況についても情報共有を行い、必要に応じて診断書に細かいことも記載してもらうことにしています。もし、読者の中にも何らかの疾病の治療と仕事の両立に悩んでいる人がいたら、情報共有をしっかりすべきだと伝えたいです。
 
■気持ちのコントロールはどうされていますか。
 がんを宣告されたときは、どん底に落ちた感じでした。それ以外には言葉が見つかりません。仕事中であっても、急に真っ暗になるような。通勤移動中も急に不安に襲われ、涙が出てきて…。やはり、支えてくれる人の存在は大切です。家族とか病院の相談窓口とか、積極的に使った方が良いと思います。また、主治医に対して強がらないことも重要です。絶望感を抱いたとしても、特別なことではありません。素直に助けを求めることが必要でしょう。
 職場では、今、私の状況を周囲の職員に知らせています。ですから、3週間に1回、投薬していることも知っています。仕事は忙しいです。深夜にはならないようにしていますが、夜の9時半頃までは残業もしています。
 
■治療継続のためには、お金もかかりますね。
 そうなんです。元々入院保険は手厚くしていました。半年程度入院しても、がん保険が出たので助かりました。職場復帰して残業すると収入が上がります。標準報酬月額が上がると、医療費の限度額も引き上がることに。これが実は「イタい」ですね。
 入院中は、本当に手持ち無沙汰で仕方がなかったので、今は仕事ができることの幸せを噛みしめています。決して楽な仕事ではありませんが、突発的な業務に対しても、夜間でなければ対応しています。それにしても、資金面での通院保障は重要ですよ。本当にお金がかかりますから。
 
■最後に、県当局に対して、治療と仕事との両立を図る職員の一人として、伝えたいことはありますか。
 まず、手術・入院の後、段階的に職場復帰できるような「慣らし期間」を設定してもらいたいです。精神疾患の場合には、職場復帰訓練が設けられます。けれども、私のような身体疾患の場合には、徐々に体を慣らしていく期間が認められていません。これは本当にキツいです。また、短時間勤務制度も実現すると嬉しいです。今のところ、時短勤務と言えば子育て・介護職員のためのものという感じですが…。それから、外からは「見えない」疾病を抱えている人もいます。そんな「見えない苦しさ」への配慮ができるような組織になると嬉しいですね。
 
 
 淡々と、冷静に自身の経験を語るAさん。しかし、ここに至るまでの葛藤は計り知れません。自身の命と真正面から向き合い、毎日を生きるAさんの眼差しには、確かな意志が感じられました。「進行がんのため、手術をしても転移の可能性がある。諦めないといけないものもある。でも、当事者にしか分からないことや伝えられないことがある。今後、ピアサポーターの資格を取って同じような境遇の人を支えたい。」とのこと。県職も、Aさん同様、治療と仕事を両立する組合員を後押しすべく、県当局に対する働きかけを強めていきます。(完)
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